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鉄の女 マーガレット・サッチャー

先日故郷沖縄に墓参りを兼ねて帰省していた。

が・・・。伊丹空港で5時間遅延・・・涙。

 

文句を言っても仕方ないのでラウンジでU-NEXTを検索し、『マーガレット・サッチャー鉄の女の涙』を観た。

 

 

好きな女優メリル・ストリープが演じていたのも、観るにはハードルを低くしてくれた。

 

歯に衣着せぬ物言い。

やると決めたら、これが正義と決めたら、損得勘定なしにやりきる!という信念のある英国首相と記憶している。

 

この映画は晩年のサッチャーから始まり、回想するドキュメンタリータッチで描かれていた。

首相辞任後の晩年、彼女が認知症であったとは、作品を通じて知った。

今日ここでブログに挙げる理由はこの点だ。

 

過去のことを思い出すシーンと、亡くなったご主人が『いる』と錯覚しているシーンが複雑に絡み合い混乱していた。

たびたび引き出しの中のものをひっくり返し、『生前整理』をしていた。だがこれはサッチャーのいる世界ではなく、『周りの人がいる世界で』、みな少々呆れ気味で哀れに彼女を見ていた。

 

しかし『サッチャーの世界』ではただの『荷造り。』

 

夜通し続く荷造り。部屋中衣類や書類が散乱し、時に過去の記憶と相まって立腹し、焦燥し『断捨離』もしていた。

 

朝方訪れたサッチャーと娘の会話が素敵だった。

 

娘『おはよう。これどうしたの?』

サッチャー『荷物をまとめてるのよ』

娘『そう、なにか手伝おうか?』

サッチャー『いいのよ。私がするから』

娘『そう、わかったわ。』

 

『ここから先はサッチャーの世界』と玄関の表札に書いていたのか?というくらいの対応力。

くわえて『正そうとしない。』こと。

 

 

我々もこういう対応をみて学ばねばならない。

 

誰かに『こんな対応をするんだよ』と言われてすることから始め、気付いて直し、気が付いたら普通にできるようになっていた。

これが『身についた。』という証拠。

 

今からでも遅くはないから、『私たちのいる世界から出て』少しずつ始めよう。