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9/13、朝5:20に電車に乗り広島へ向かった。
20数年ぶりの広島になり、当時は車に乗ってりゃ観光地に着くシステムなので(笑)、広島と呉がこんなに離れてるとは思わんかった。
朝が早かったので風呂を現地調達(笑)
9:00開店と同時に一番風呂に入湯!
頭を乾かし目的地、ビュー・ポートくれホテル。
今日は、俺がYoutubeで勉強している『戸塚宏さん』に会いに来たのだ。
彼の話は『マトモ』である。
つまり筋が通っている。
定義を軸にした考えがあり、それに基づいて行動し結果を出している。
彼を批判している人は、定義がない。だから彼の言葉の表層に感情的になって批判するのだ。
批判する多くは、自分には多様性がある。と傲慢に自負しているが、『私とは違う』=『私は正しい。あなたが間違っている。』の論調であり、私の意見と違う人を袋叩きにしていることに気付いていないもっとも、多様性のない人だと思う。
この日も終始『定義』を軸に分かりやすく話してくれた。
2時間という講義に加え、昼食を食べながらの2時間質疑応答。
時々・・・?いやメチャクチャ(笑)過激な言葉が炸裂して笑えて、とてもとても贅沢な時間やった!

帰りは大和ミュージアムへ。

搭乗員の遺影があり、確実に俺より年下であることが分かる少年兵が何十人も映っていた。色んな思いがあって出撃し、生きて帰る者、生きて帰ることができなかった者。いずれにしても、先の大戦で亡くなられた先輩日本人のおかげで、今の日本は在る。そして俺もいる。
感謝しかない。

本当の意味で『生きる力を育てる』1日となった。
2009年に解散したオアシスが、再結成ツアーにまわった時のドキュメンタリー。
日本では2週間の上映という事で、初日は満員。

悪ガキギャラガー兄弟。
兄弟喧嘩でツアーが中止なんて1度や2度ではない(笑)
しかし2009年は中の悪さがピークで、そのままノエルが脱退したから、ラストツアーで彼らをインテックス大阪で見ることができたのは、思い出に残った。
しかし解散してからも、ずーっと聞いてたな。
風景に溶け込むのか、BGMとして最強なのか、その両方か。
結構な頻度で口ずさむほど、彼らの曲は素敵や。
このドキュメンタリーは愛に満ちていた。
兄が弟を弟が兄を。
彼らが大好きなファンが、その子供たちへオアシスを繋いでいたこと。
会場で小さな寝ている孫?を抱いて、おじいちゃんが口ずさむシーン。
ノエルが親子で見に来ているファンが何度も見えて、涙で後ろを向いて演奏した、という回想はグッと来た。
『生きてるって尊い』
リアムのセリフ。
でも終盤、酔っぱらった中年のおばさま(笑)も同様のセリフを口にした。
もっかい観に行こかな・・・。(笑)
オアシスファンでなくても、とてもとてもいい映画やと思う。
俺の友達は絶対見てほしいな!
7/22大阪『華氏マイナス320℃』

前作『正三角関係』の失態を繰り返さぬよう、今回はあらすじを見てからのぞんだ。
野田秀樹の作品はメチャクチャ難しい!
だからこそ前もってあらずじを読んでおくことを、強く強く勧める!
今作のテーマは『命』
命の探究、命の保存、選別(マイナス32重度)、命の共存・継承
そんな流れでのクライマックスは圧巻やった。
躍動する人間の鳴らす音からの静寂。
一瞬で鳥肌が立ち、涙が瞼にたまった・・・直後まさかの客席から携帯着信音。
殺意!
それでも最高の作品やった!
7/24~25仙台『カッコーの巣の上で』

これもテーマは『命』やった。
むかしジャック・ニコルソンが演じていた映画を舞台にした作品。
なので大体のあらすじは知っている。
この作品は映画で見るもんやね。
芝居はやっぱり『演出力』
出てる役者さんたちの演技は、確かなものである。
しかし、華氏マイナス320℃の深津絵里や広瀬すず、阿部サダヲ、橋爪功は、みな声の『抜け』が抜群!そして彼らのアクションと周りの役者さん、舞台セットが醸すものが、舞台に『世界』を作る。
圧倒的に演出『家』次第で役者は変わる。
やはり野田秀樹は天才や!
帰り際青葉城をまわり、まずーい牛タンを食って帰った。

7/15~17富士山
日本に生まれたのなら、日本一の山は登らなイカンやん!(笑)と、ずーっと思てた。楽勝で登頂したんねん!って息巻いて、5合目でカツカレー&ビールいれてから登り始めた。

カッコだけは登山カメラマンみたいやろ?(笑)
最初は余裕しゃくしゃくやったけど、途中から「景色を楽しみながら登る山とちゃう!」ってことを思い知らされた。
手袋付けて岩を持ちながらって・・・ロッククライミングやん!って心の中で思てたら・・・。
俺『高所恐怖症』やったん思い出して、そっからは地獄よ・・・涙。
9合目で御来光を見れたのは感動やったが、9.5合目で血圧が下がり50分くらい蹲ったが改善せず。
山岳救助隊に救護要請を・・・焦。
連絡したんはええけど・・・まさかここからヘリで吊るされたりせんやろな・・・と思たら、余計にビビりだす。
よって我が足で下山することを決意!
引き返すこと、やめることの決断は難しさこそあるものの、ここまで『全力だった』ことを心身が分かっているので、俺は案外いつもあっさり決められる。
しかし本当の地獄はここから始まる・・・。
下山はなだらかな傾斜が延々と続き、景色がさほど変わらん火星・・・。

『いまどこ・・・』
『ここどこ・・・』
ばかりを繰り返し、ホンマに気が狂いそうやった。
27時間富士山に滞在し、山小屋での3時間の仮眠をのぞけば24時間歩き続けていた。カロリー消費はわからんけど、iPhone万歩計はビビる歩数やろな!?と興奮したが・・・。

Screenshot
まさかの合計2万4千歩・・・涙。
絶対おかしい!
見てるか!?ジョブズ!コレハナイデスヨ・・・
結果富士山は登るもんやなくて、眺めるものとして認定!
それとやっぱり『俺にも出来んことがある』ってことを日本一に教えられた。
ありがとう!富士山!
もう二度と登りません!(笑)

クソ忙しいのに映画『Michael』を観てきた。(笑)

皆さんにはどんな部分が響いて流行っているのか、興味本位で聞いてみたい。
なぜなら俺がイイ作品や!と思う点とは違うような気がするから。
親から抑圧、支配されて、それでも成功し名曲、素晴らしいダンス、そしてパフォーマンスを生み出したKING POPに焦点を当てた作品であるのは間違いない。
しかし俺は、父親の支配から解放されたサクセスストーリーより、あのマイケルでさえ『自分次第でなかった』んやな。という印象が強く残った。
マイケルが肝心なところで、他人を使って自分の意思を伝えさせるシーンが度々あった。
あれは見ていて自分で言えや!と少し腹が立った。
父親は素晴らしいリーダーシップを発揮していたし、まぎれもなくマイケルの成功は彼無しでは語れないと、俺は思う。
兄弟とはいえチームを統率するときには、公平な『罰』は付きものである。
マイケルがただの優秀な歌手、ダンサー程度ならこの指導でよかったんやろうが、マイケルは父親の器に収まらない、紛れもない天才や。父親はそこを見誤った。
マイケルが度々口にした『Destiny』
前半で使われたこの『運命』というセリフは、まさかこんなことが自分に起きるなんて?と驚きとともに『運命が訪れた』というニュアンスで使われていたと思う。
だから父親から逃避する勇気が持てなかったのかもしれない。
しかし頭部を火傷した後の弁護士とのやり取りから、『向き合わなきゃ』そして運命を『Mine』と締めくくった。
この運命は『自分のもの』だと。

こうなりゃマイケル無双状態・・・。(笑)
自分の意思は自分の力で、自分の声で伝えてこそ『自分の人生を自分次第で生きる』ってことを強く強く感じた作品やった。
そういやガキのころ、阪急西宮スタジアムでMJのライブがあって、
『たけふく』って店の角に立ってたらLive後のMJが車から手を振ってくれたな・・・。(なんで、たけふくにリンクすんねん俺、笑)
先日、志塾同期生の加藤公理のクラウドファンディングがあって、トマト農家のスポンサーになりました!
サプライズと言うか・・・アイツが友情の証に、とトマトの木のオーナーにまでしてくれちゃいました。(笑)

その動画がこちら。(0:48あたり、笑)
せっかくなんで『株式会社グローバルウォーク』でお願いしました。
長野県にある平谷村ってとこの高原トマトで、去年も食べたけど恐ろしく旨い!
今はまだ一般販売してないけど、再来月くらいが食べごろかと。
よかったら皆さんもどうぞ!
下品
「ただ、ひとの物腰だけで、人を判断しようとする。下品とはそのことである。」
「如是我聞」では礼儀、身振り、物腰という表層から人間を判断する態度そのものを「下品」と呼んでいる。
ということは、下品な人がいる。
のではなく「人を表面情報で分類する眼差しが下品」と言っているのだ。
何年か前にそうやな・・・。と思たことが、古く文学の中にはこういった教育がつぶさにあるものだ。
以前落語家の桂春蝶さんの『人間失格』を聞きに行ったことがある。
春蝶さんも凄かったが、モトネタが素晴らしくないと、こうはならんやろな・・・。と思た。
笑えるのは安住さんの「走るなメロス」やけど。(笑)
太宰治っちゃ~凄い人や・・・。
38歳で亡くなったんやが、この若さで凄い作品を何作も書き、もうすぐ亡くなって80年くらいやけど、素敵に深堀され、アレンジされてる。
今年はもう少し太宰を研究しよう!

正義と微笑 太宰治
先日仲間が、太宰治のこんな作品を教えてくれた。
日記形式で書かれた本小説は、悩みが尽きない現代の大人に刺さる作品だ。
もう君たちとは会わないかもしれないけど、お互いにこれから、
うんと勉強しよう。勉強と言うのは、いいものだ。
試験の勉強が、試験を合格してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思ってる人もあるようだが、間違いだ。
植物でも、動物でも、物理でも科学でも、建築でも土木でも、時間の許す限り勉強して置かなければならん。『日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させる』のだ。
何も自分の知識を誇る必要はない。
勉強して、それからけろりと忘れてもいいんだ。覚えるというのが大事なのではなくて、『大事なのは、“カルチベート“されるということ』なんだ。
学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなのだ。
けれども、全部忘れてしまっても、その『勉強の訓練の底に一掴みの“砂金“が残っているものだ。』
これだ。『これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。
ゆったりと、真に“カルチベート“された人間になれ!』
これだけだ、俺の言いたいことは。
君たちとは、もうこの教室で一緒に勉強は出来ないね。けれども、君たちの名前は一生忘れないで覚えてるぞ。君たちもたまには俺の事を思い出してくれよ。
あっけないお別れだけど、あっさり行こう。
最後に、君たちの御健康を祈ります。
素晴らしい文章や!
人はなぜ浅いのか?
軽いのか?
ヌルいのか?
の答えがまさにここに詰まっていると言える。
人生に役立ちそうにない事に興味関心を傾け、『探究』する。
そうしていくうちに感覚から手に入れた、今までの知識や情報をもとに判断された思考力、行動力で、未知の壁を打ち破っていく。
その一つひとつの考えや考え方が太宰の言う『砂金』だろう。
この連続性によってカルチベート『される』のだ。
カルチベートとは磨くという意味である。
そのほかにも耕す。洗練される。がある。
カルチベートされた人間になれ。とは『人格を耕し人格を磨き、洗練された人になれ。』と俺は理解した。
三國清三さんが、かつて師匠アランシャペルに言われた言葉も『セパラフィネ』(洗練されていない)だった。
こう考えると一流とは、洗練されていることなのかもしれない。
