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やめるを覚悟し、正しくやめる事

したいことが見つかったり、しなければならないことが舞い込んだり、したくもないが命令される事が人にはある。

前向きか後ろ向きか、本意か不本意かは別として、こんな状況に立たされることがあるものだ。

 

 

 

そのたびに大切にしていることがある。

それは『やめる覚悟』である。

 

 

 

以前の俺はやめる覚悟もなけりゃ、やめることを選んでこなかった。

なぜなら振り返ることをせずに、全部自分のしたいこと、自分のしなければならない事と『決めつけていたから。』

自分の目に映るものごとが『自分好み、自分色』に染まることを『俺らしさ』としていたのかもしれない。

 

 

 

まだまだ成長欲があるにも関わらず、成長できなかったら、あるいは成長に必要な『変化』が自分にできなかったら『カッコがつかない。』とでもいうように『成長できる自分を見切って』しまっていた。

馬鹿げていた。

 

 

 

成長欲とは別のやりたい意欲か、責任感か、周りからの期待感なのか。

そうして『今の自分が大好き人間』の俺がしょいこんだ『荷物は増えるばかり』だった。

全てをしようとするので体はボロボロ。笑顔もなくなり、最低限の作り笑い程度。

なんとも言えない救えない奴だった。

 

 

 

でもそんな俺が頑張ったことは『やめる』を決めたことだ。

最初は『したくない仕事や、面倒くさい仕事』を選ぶことから始めた。

そうしてスタッフに『押し付けた。』

 

 

すると、『早く言ってくださいよ。』とか言いながら、以外にも俺がするよりはるかに効率がよかったし、押し付けた気持ちでいたのは俺だけで、彼らは『任されたかった。』のかもしれない。と今では思う。

 

 

ひょんなことでそんなことを続けていると、今まで人を大事にしている人間だ!と自負していた俺の気持ちを否定するような感情が芽生えた。

 

 

 

 

『今まで人をこれだけ大事に思ったことはあっただろうか?』である。

 

 

 

 

人を介して仕事をするとはこういう事なのだ。

笑顔を取り戻し、もともとあったバイタリティは益々あがり、今では『人生を生きる事が楽しみでしかない。』

こんな俺を否定する人もいるかもしれないが、そんなことは『もうどうでもよくなった。』

 

 

 

夢を叶えたければ、親と先生と世間の期待に応えるな。

先日、勝手に大好きな土岐山協子さんのSNSに書いてあった記事での一文だ。

これも『やめる』事だと思う。

 

 

 

逃げ出したらアカン時に、逃げ出す阿保と

誰かに後ろ指を指されたとしても、逃げ出さなアカン時に逃げない阿保にはなるな。

師匠BOSSの教え

これは愚かなヤツの『やめられない』末路。

 

 

 

やめる事は勇気がいる。

自分らしさを感じられるものではない。

でもやってみれば、開かれる自分の可能性に『まだまだ、こっから自分に成るのだ。』とはっきり感じられる。

そして『成ると思っていなかった』自分にも成れるのだ。

 

 

 

この記事『37歳はパンチドランカーからロックンロール』から10年か。

今日で46歳が終わる。

明日俺は、オカンが俺を20歳に育ててくれた47歳に並ぶ。

やめられないことの一つに『オカンの息子』がある。

 

 

 

そう思うと、大半のことはやめられるものだ。

↓な?(笑)

 

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