今月はグループホームの全体集会。
毎年2回の消防避難訓練を兼ねて開催している。
その中で『幸せになるための認知症ケアproject』の中間報告をするにあたって、各ユニット担当者と打ち合わせをしている。
目指している目標、現況報告、改善案、担当者の想いを話してもらうのだが、一つずつ組み立てないと担当者の想いに引っ張られて、話が一方向にしかいかない・・・。
だが、リアルな話しは聴いていて頼もしく、愉快である。
認知症の方か否かに関わらず、人の不安は無くならないし、消せはしない。だから認知症ケアにおいて最も大切なことは、不安を除去する事ではなく『安心していただける』アプローチや環境作りだ。と私は考えている。
だからこそ利用者に不安が起きた時『いつ、どこで、どのような』状況だったかを把握し、そしてその不安の前に『どんな気持ちになっていたか?』を想像することが必要だ。
そこからどんなことができるか?どんな環境が望ましかったか?をアプローチに繋げていく。
そうでなければ認知症ケアは『不安症状の火消し』に終始してしまい、あまりにも専門性がなさすぎるし、利用者は『私たちを困らせる存在』になる。そしてスタッフも疲弊する。
誰にとっても幸せは訪れない。
『不安に寄り添う』とは徹底的に不安を分析することなのだ。
そんなことを日々喋っている中で、担当者が書いている一文が目に留まり心に刺さった。
『想いに間に合わなかった場合は・・・』
彼女には珍しい言い回しではなかったのかもしれないが、あまりにも私の心には刺さった。
私が言う『不安症状』を彼女は『想い』と捉えていて、対応の遅さを『間に合わなかった』という人を責めない言葉を遣っていた。
とても、とても素敵な言葉、そしてセンスだ。
専門家になれば知っていることも、分かっていることも増える。
しかし『見えていない』ことがある。
それをスタッフから学んだ日だった。
感謝感謝。

先日、経営者仲間に『社員との信頼関係に必要なものは何でしょうか?』と質問された。
脊椎反射のスピードで『互いのリスペクトでしょ。』と答えたのだが、彼は「それを築くために必要なことは何か?ってのが聴きたいんですよ。」と返してきた。
・・・。ちょい待て。(笑)
言葉の意味が違いますよ。
信頼はTrust。リスペクトは尊重である。
Trust Relationshipという信頼関係には、前提としてRespectという尊重の概念が必要である。というのが私の考えだ。
私たちの支援に『自立支援』という言葉があるが、もう一つ同じ言葉で『自律支援』という言葉が存在する。
大きく分けると自立支援は身体的自立を指し、自律支援は精神的自立を意味する。
病気や事故からの復帰という意味で使われる自立支援だけでは、先天的に障害のある方や不治の病の方には適さない言葉である。
精神的自立とは、『自分で考え、自分で選び、自分で決定する能力を支援する事』と定義されている。
しかしこの言葉をそのまま捉えると、全ての人が『考えられるのか?選べるのか?決める事ができるのか?』と否定的な言葉が飛んでくるだろう。
この定義は少し言葉が足りていない。
全ての人間は自分で考え、自分で選び、自分で決める『という能力がそもそも有る生き物だ。』として『扱う』という事だ。
この言葉を補足すると精神的自立の解釈がしっくりくるのではないだろうか。
この『そもそも、そのように扱う』こそが私の考える『Respect』なのだ。
わたしは年齢や性別、地位に関わらず、全ての人をそのように扱うRespectがある。(※Respectし続けるかどうかは、私の人権を侵害しない限りという条件がある。)
多くの人がRespectを尊敬という意味で使っていると思う。
そう解釈すると私の言う信頼関係の構築は、理解できないかもしれない。
そして、信頼関係の構築ではなく『信用関係?』で悩んでいるようだ。つまり信頼と信用の意味を間違えている。ということだ。
信頼は『する人が自由に決める』
信用は『される側の条件で決まる』
『社員との信頼関係に必要なものは何でしょうか?』と聴いてきつつ、本心では『信用されるために私に必要な条件は何ですか?』と聴いているのだろう。
その答えはもっと簡単だ。
社員に聴け!(笑)
信頼は、社員が勝手に決めるのだから、いちいち考えても仕方がない。だからむしろ勝手に決めていいのだ。正解か不正解かは分からないが、今のところわたしは、とりあえず勝手にそう決めている。

少し前に話題になったNetflixの作品。

昔音楽を必死にやった事があっただけに、才能の壁に挫かれる感じ、才能のあるヤツを目の前にした時の全否定したい気持ちと、それを認められない、受け入れ難い気持ち。
そして今の仕事にも通ずる、生きて死ぬか、死んで生きるか…の選択。
いずれにせよ、青春(青春の始まりという意味で、まだ青春は終わってません、笑)から今という時空までを一気に答え合わせされた気分だった。
向き合うことから逃げたら後悔する。
作品には、向き合わずに後悔した人と、向き合って後悔している人がいた。
その人たちは、自分で自分の才能を否定して、諦めた。
たが、後悔しなかった人は、自分を信じる力を持っていただけ。
結局、この差なのかと。
簡単なようで難しい…いや、ただ難しく考えたいだけで、昨日までの最高を今日も継続したいだけ。
起きぬけ以上の朝焼けを俺は知っているから、信じて毎日自分を自分で試している。
今日も昨日を更新した。
俺は誰かには負けるかもしれんが、昨日の自分には決して負けない!
わたしは44歳を過ぎて初めて、出来ない自分と出来ていなかった自分を自覚した。
浅い知識と薄いスキルで、なんとなくやれていたし、ほどほどにリーダーとしてチヤホヤされて自惚れていた。
あの当時鴨頭嘉人を学び、知識と技術をどんどん上乗せしていた。
だが、学べば学ぶほど、実践では上滑り。
しかし学び深掘りしたからこそ辿り着いた藤本孝博の志塾。
大人になって、これだけシバかれ泣かされ、素敵に抱きしめられるとは思いもしなかった。
毎期脱走者がでる不思議な塾…笑
志塾で学んだ事は山ほどあるが、今日は掻い摘んで一つ。
『人間関係は人間関係の中でしか磨けない。』
言いやすい人や言える事、言いやすい事だけは言って、
言いにくい人や言いにくい事、言えない事は言わないなどあり得ない。
そうやって人を選んで口を動かせば、リーダーが勤まるなら誰も苦労はしない。
言いたい事を言ったら人を傷つけるかもしれない。
というのは、起きていないことにビビり散らかして、他人を使って言えない自分を肯定しているだけだ。
どうせ言っても分からない。
というのも、伝える事ができない自分を棚に上げて、他人を見切っているだけだ。
いずれにせよ、言う努力もしない者にリーダーは勤まらないし、サボって、手を抜いて信頼関係など築けるはずがない。
手心加えた相手が、こちらに本気で挑むはずがない。
ようするに、見切られているのは自分なのだ。
これに気付いた当時は、忸怩たる思いだった。
だが、自分の力で答えにたどり着いたからこそ、今までの自分に決別し、徹底的に『本当の事を言う』努力ができている。
伝わるかどうかは言った後で考える。
言ってもないのに、言った後のことを考えるのは時間の無駄だ。
相手を見切るなど以ての外だ。
リーダーは妥協して成れるものではないのだ!

タイトルの言葉は、沈むことが決まっている舟(国)で、どのように生きていけばいいか?の問いに答えた、宮台真司さんの言葉だ。
彼は昔から大好きな論客の社会学者だ。

今、チーム『Re』ビルドの最中にあって、この言葉をいちいち自分に対して繰り返している。
私は組織が腐る原因として2つの「長」をあげる。
1つはリーダーという「長」。
実際魚がどこから腐るかは知らないが、組織は必ず頭から腐る。
もう一つは長年そこにいるという「長」だ。
トップに駆け上がることや、長年勤めあげるというのは素晴らしいが、そのポジションやタイトルに居座り続ける人間は、世間様をよそにマイルールを振りかざし、他の追随を許さないどころか、既得権を作り保持して離さない。
多くが宮台真司の言う、言葉の自動機械、法の奴隷、損得マシーンだ。
彼はそれらを『クズ』と切り捨てている。
しかし長年トップに君臨する者もいる。
それは流れゆく社会を捉えたアンテナという、「世間様」から組織を見る事ができる者だと考えている。
だからこそ、日々の勉強は怠らないし、私自身が『クズ』に成らないように、部下に対して口酸っぱく言う言葉がある。
『絶対に俺を裸の王様にするな!』と。
私は必ずチーム『Re』ビルドをやり遂げる。
しかしこの舟で、ではない。
『自分たちが入居するホームを作る』という理念に賛同し、『認知症ケアを働き甲斐にできる仲間』と漕ぐ舟である。
決して嫌いなのではない。
あなた達にも、社会という荒野で生きていく『仲間と乗る舟』が、別にあると思うのだ。
先日アパレルブランド「MOTHER HOUSE」のトークイベントに参加した。

MOTHER HOUSEの副社長、山崎大佑さんの公演は、サンソウカンで拝聴し、そのほかではNewsPicksでも知っている。
アパレル業界を飛び越えた多方面に対する「瞬時の興味」や、そこからUターンして業界との相違点から接点を交えて繰り出されるファシリテーションにはいつも驚かされる。
今回はそんな山崎さんとポートアイランドにある「LANDMADE」代表の上野真人さんによる『神戸の未来をつくるnaight 第2夜』。
予定調整できず第1夜を不参加してしまった不義理の挽回もあったが、イベントに誘ってくれた同級生は大切にしなければならない思いのほうが強かった(笑)
彼女は福祉系専門学校での同級生で、卒業後、転職を経て弊社グローバルウォークの取引先担当者として偶然再会。
現在はMOTHER HOUSEに勤務している。
そんなMOTHER HOUSEにはもう1人知り合いがいて、彼女は関西学院大学の卒業生で、2019年から担当しているゼミの初代卒業生である。
立派に司会を務めている彼女を見ると、感慨深いものがあった。
さて前置きが長くなってしまったが、上野さんの会社「LANDMADE」では主に喫茶店などにコーヒー豆を卸している。
コーヒーは好きだし、いずれ飲食店展開にも挑戦したい気持ちはあるが、コーヒー屋さんの「話し」は1mmも興味がなかった。
なので、正直なところイベントをサボりそうだった。(笑)
専門的な話もあったが、マニアックではなかったし、業界が違えども、考える事や感じる事などはやはり普遍的である、
だからこそ、業界が違えば違うほど考え『方』や感じ『方』のエッジが立っていて、聴きごたえがあったのだ、と今では思う。
一番グッと来たのは山崎さんが「きっと上野さんは業界を変えるんでしょうね?」の問いに「変わりたいですね・・・。変わりたいですね。」と溜をおいて2度答えた。
このアンサーはおかしい。
「変えたいです。」というのが正解だ。
I am コーヒー業界!か!?(笑)
なぜこの言葉をチョイスしたのか?
質問しよう!としていたが、会場の方の「上野さんは私ではなく、我々という言葉を用いますが何故ですか?」の質問に対するアンサーで合点がいった。
どちらの会社だったかは名前を忘れたが、彼の尊敬する社長が『良い会社の定義は、自己認識をどこまで広げられるか?』という言葉があり、つまり「自分事」として扱う範囲をどこまで広げられるか?
という意味である。
彼はコーヒー業界自体を自分事として扱い、自分事にコービー業界の「未来」を含んでいるのだ。
なるほど「変わりたい」が正解だな。
最近では目の前の課題を自分事として扱わず、他人事にして跨いだ結果、目の前に大きな問題となって降ってきてから慌てる人をたくさん見る。
「なぜ私がしなければならない・・・。」と損得勘定で仕事を選ぶのではなく、自分事と扱い、小さな課題のうちに拾い上げればすむ話しなのだ。
自分事と扱うことが、自分の半径1.5m付近の人くらいを幸せにできる。と思う。
しかし最近は自分事を「どこまで」含むのか?が課題である。(笑)
いや〜イイ話が聴けた。
1mmも興味がない。と感じた非礼を詫びるとともに、その先入観をブチ破った自分を褒めたい。(笑)
サービス業において重要なことは数あるが、私は『言葉の遣いかた』を一番重要視している。
私がなんの行動も起こさなければ、私の考え、想いは誰にも見えない。
それがどれだけ素晴らしい考え、強い想いだとしても『言葉』を遣わない限りは伝わらない。
伝えたいことがある。
であるならば、私は正しく言葉を遣い『誤解』がないようにしたい。
つぎに、素晴らしい考えや想いは、言動をもって証明する以外方法はない。ということ。
そんな中、
などという声があるが、どれも言葉遣いが悪いことを肯定できる内容ではないし、許容できるものはない。
まず
ストレスがあるのは介護の仕事だけではないし、ストレスがあるから言葉遣いが悪くていい理由にはならない。
ましてストレスは『理想と現実のギャップ』である。
ストレスを解消したいなら方法は3つしかない。
①理想を下げる
②もっと努力する
③理想を変える
である。
イライラが自分でコントロールできないのであれば、介護の仕事は不向きである。自分の機嫌は自分でとれ。
基準を満たしている以上、人材が不足しているのではなく、人材が不足しているように『感じている』だけで、それは単純に『働き方、チームワークに問題がある』のだ。
一事が万事である。
たまたま訪れた家族がその現場を見て『たまにしか来ないから、こんなことはたまたまよね。』などという事を言うはずがない。
こけるかも?と不安に感じているのはスタッフである。
こけそうな場合にどうしたらいいか?という場所に『陣どっておく』もの。
リスクをゼロに近づけることは大事だが、リスクをゼロにする介護は、介護ではない。
それは『介護とは尊厳を護る』ことだからだ。
そして人間は『思考や感情と行動を分けられる生き物である』
ダイエットや健康志向が証明している。
好きだけど食べない。
嫌いだけど食べる。
コントロールできる人と、できない人とに分かれるが、できる人がいる以上、コントロールは『できる』のだ。
以上のことから、私はぞんざいな言動を決して許さない。
株式会社グローバルウォーク
訪問介護
介護タクシー
紙おむつの配達
有限会社一葉サンサン会
認知症対応型共同生活介護
本日アニスピHDの藤田英明さんが代表を辞任された。
アニスピHDの藤田英明というより、茶話本舗というお泊りデイサービスで業界の風雲児となった時のほうが、私の印象は強い。
彼は私の3歳上で49歳なのだが、3年前に悪性リンパ腫のステージ4を宣告され、命の有限性を突き付けられた。
今時点は抗がん剤治療にて寛解したようだが、それを聞いて安心したと同時に、この若さで・・・と驚きは隠せない。
時代の寵児として名を馳せただろうが、余命を意識した時にはきっと過去の栄光などどうでもよく、残された時間をどのように生きるか?という命の遣い方を意識したはずだ。
そんな彼が本日辞任を表明したのだが、これからは「志ある挑戦者の最も身近な相談相手」として次世代に繋ぎ、すべての人が恐れず挑戦できる社会を作るそうだ。
彼のnoteには彼の携帯番号までのせてある。
私はまだ彼のように「やりきった」と言えることは無いが、「やりたい!と思ったことを、やり残していない人生を生ききりたい。」
人生とは命を遣うという事なのだろう。
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