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君ニ問ウ 〜学習と教育の違い〜

言葉の意味は一つではなく、複数ある。

調べる辞書によって多少の差があることを前提に、言葉の意味は、ほぼほぼ決まっている。と私は思っている。

 

 

コミュニケーションは発信者と受信者がいる。

発信者の語気、語彙力や受信者の感受性、語彙力の無さなどが、互いのコミュニケーション能力『差』において誤解を生じさせる事がある。

 

 

どちらかが譲らなければ、あるいは互いが譲り合うことでコミュニケーションのバランスは保てるのだろうが、圧倒的に発信者の『手心』よりも、受信者の『無能さ』がアンバランスを招いていると思ったほうがいい。

 

 

手心を加えられるとは、あなたに手加減しているという意味である。

 

 

つまり『あなたに手を抜いてなお、私はあなたに伝えたいことがある。』という事で、発信者としては『覚悟の塊』だが、受信者は一切成長しない。

 

 

 

『成長しなければ人は死んだも同然。』

 

 

 

どなたか賢い人が言ってたような。

でも女王の教室はもう一歩踏み込んでたな。

『好奇心を失った瞬間、人は死んだも同然。猿以下です』だったかな。(笑)

 

 

至極その通りだと思う。

教育で人は成長する。しかし人に教えてもらう事を頼みで生きてきた人は、成長速度の鈍化に気付いていない。

また昔取った杵柄が生きていることはよいが、それ『だけで』で生きていくことは難しい。

時は流れているし、世界は変わるからだ。

 

 

ゆえに『学習』が必要であり、その根本が『好奇心』だ。

 

 

先日、好奇心のある人と、ない人の違いに気が付いた。

ある口癖だ。

『何?なぜ?』という深堀して聴くセリフの『多さ』だ。

その言葉の使用頻度の高い人ほどセミナーに通っていたり、習い事に行っていたり、師匠と呼べる人がいる。

 

 

 

遅かったかもしれないが、遅すぎたわけではない。

今からでも好奇心をもって『何?なぜ?』の使用頻度を高めて成長に繋げよう。

 

 

 

君ニ問ウ

『好奇心はあるか?』