クソ忙しいのに映画『Michael』を観てきた。(笑)

皆さんにはどんな部分が響いて流行っているのか、興味本位で聞いてみたい。
なぜなら俺がイイ作品や!と思う点とは違うような気がするから。
親から抑圧、支配されて、それでも成功し名曲、素晴らしいダンス、そしてパフォーマンスを生み出したKING POPに焦点を当てた作品であるのは間違いない。
しかし俺は、父親の支配から解放されたサクセスストーリーより、あのマイケルでさえ『自分次第でなかった』んやな。という印象が強く残った。
マイケルが肝心なところで、他人を使って自分の意思を伝えさせるシーンが度々あった。
あれは見ていて自分で言えや!と少し腹が立った。
父親は素晴らしいリーダーシップを発揮していたし、まぎれもなくマイケルの成功は彼無しでは語れないと、俺は思う。
兄弟とはいえチームを統率するときには、公平な『罰』は付きものである。
マイケルがただの優秀な歌手、ダンサー程度ならこの指導でよかったんやろうが、マイケルは父親の器に収まらない、紛れもない天才や。父親はそこを見誤った。
マイケルが度々口にした『Destiny』
前半で使われたこの『運命』というセリフは、まさかこんなことが自分に起きるなんて?と驚きとともに『運命が訪れた』というニュアンスで使われていたと思う。
だから父親から逃避する勇気が持てなかったのかもしれない。
しかし頭部を火傷した後の弁護士とのやり取りから、『向き合わなきゃ』そして運命を『Mine』と締めくくった。
この運命は『自分のもの』だと。

こうなりゃマイケル無双状態・・・。(笑)
自分の意思は自分の力で、自分の声で伝えてこそ『自分の人生を自分次第で生きる』ってことを強く強く感じた作品やった。
そういやガキのころ、阪急西宮スタジアムでMJのライブがあって、
『たけふく』って店の角に立ってたらLive後のMJが車から手を振ってくれたな・・・。(なんで、たけふくにリンクすんねん俺、笑)
先日、志塾同期生の加藤公理のクラウドファンディングがあって、トマト農家のスポンサーになりました!
サプライズと言うか・・・アイツが友情の証に、とトマトの木のオーナーにまでしてくれちゃいました。(笑)

その動画がこちら。(0:48あたり、笑)
せっかくなんで『株式会社グローバルウォーク』でお願いしました。
長野県にある平谷村ってとこの高原トマトで、去年も食べたけど恐ろしく旨い!
今はまだ一般販売してないけど、再来月くらいが食べごろかと。
よかったら皆さんもどうぞ!
下品
「ただ、ひとの物腰だけで、人を判断しようとする。下品とはそのことである。」
「如是我聞」では礼儀、身振り、物腰という表層から人間を判断する態度そのものを「下品」と呼んでいる。
ということは、下品な人がいる。
のではなく「人を表面情報で分類する眼差しが下品」と言っているのだ。
何年か前にそうやな・・・。と思たことが、古く文学の中にはこういった教育がつぶさにあるものだ。
以前落語家の桂春蝶さんの『人間失格』を聞きに行ったことがある。
春蝶さんも凄かったが、モトネタが素晴らしくないと、こうはならんやろな・・・。と思た。
笑えるのは安住さんの「走るなメロス」やけど。(笑)
太宰治っちゃ~凄い人や・・・。
38歳で亡くなったんやが、この若さで凄い作品を何作も書き、もうすぐ亡くなって80年くらいやけど、素敵に深堀され、アレンジされてる。
今年はもう少し太宰を研究しよう!

正義と微笑 太宰治
先日仲間が、太宰治のこんな作品を教えてくれた。
日記形式で書かれた本小説は、悩みが尽きない現代の大人に刺さる作品だ。
もう君たちとは会わないかもしれないけど、お互いにこれから、
うんと勉強しよう。勉強と言うのは、いいものだ。
試験の勉強が、試験を合格してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思ってる人もあるようだが、間違いだ。
植物でも、動物でも、物理でも科学でも、建築でも土木でも、時間の許す限り勉強して置かなければならん。『日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させる』のだ。
何も自分の知識を誇る必要はない。
勉強して、それからけろりと忘れてもいいんだ。覚えるというのが大事なのではなくて、『大事なのは、“カルチベート“されるということ』なんだ。
学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなのだ。
けれども、全部忘れてしまっても、その『勉強の訓練の底に一掴みの“砂金“が残っているものだ。』
これだ。『これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。
ゆったりと、真に“カルチベート“された人間になれ!』
これだけだ、俺の言いたいことは。
君たちとは、もうこの教室で一緒に勉強は出来ないね。けれども、君たちの名前は一生忘れないで覚えてるぞ。君たちもたまには俺の事を思い出してくれよ。
あっけないお別れだけど、あっさり行こう。
最後に、君たちの御健康を祈ります。
素晴らしい文章や!
人はなぜ浅いのか?
軽いのか?
ヌルいのか?
の答えがまさにここに詰まっていると言える。
人生に役立ちそうにない事に興味関心を傾け、『探究』する。
そうしていくうちに感覚から手に入れた、今までの知識や情報をもとに判断された思考力、行動力で、未知の壁を打ち破っていく。
その一つひとつの考えや考え方が太宰の言う『砂金』だろう。
この連続性によってカルチベート『される』のだ。
カルチベートとは磨くという意味である。
そのほかにも耕す。洗練される。がある。
カルチベートされた人間になれ。とは『人格を耕し人格を磨き、洗練された人になれ。』と俺は理解した。
三國清三さんが、かつて師匠アランシャペルに言われた言葉も『セパラフィネ』(洗練されていない)だった。
こう考えると一流とは、洗練されていることなのかもしれない。
