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月別アーカイブ: 2026年7月

MJ

 

クソ忙しいのに映画『Michael』を観てきた。(笑)

 

 

皆さんにはどんな部分が響いて流行っているのか、興味本位で聞いてみたい。

なぜなら俺がイイ作品や!と思う点とは違うような気がするから。

 

親から抑圧、支配されて、それでも成功し名曲、素晴らしいダンス、そしてパフォーマンスを生み出したKING POPに焦点を当てた作品であるのは間違いない。

 

 

しかし俺は、父親の支配から解放されたサクセスストーリーより、あのマイケルでさえ『自分次第でなかった』んやな。という印象が強く残った。

 

 

マイケルが肝心なところで、他人を使って自分の意思を伝えさせるシーンが度々あった。

あれは見ていて自分で言えや!と少し腹が立った。

 

 

父親は素晴らしいリーダーシップを発揮していたし、まぎれもなくマイケルの成功は彼無しでは語れないと、俺は思う。

兄弟とはいえチームを統率するときには、公平な『罰』は付きものである。

 マイケルがただの優秀な歌手、ダンサー程度ならこの指導でよかったんやろうが、マイケルは父親の器に収まらない、紛れもない天才や。父親はそこを見誤った。

 

 

 

マイケルが度々口にした『Destiny』

前半で使われたこの『運命』というセリフは、まさかこんなことが自分に起きるなんて?と驚きとともに『運命が訪れた』というニュアンスで使われていたと思う。

だから父親から逃避する勇気が持てなかったのかもしれない。

 

 

 

  しかし頭部を火傷した後の弁護士とのやり取りから、『向き合わなきゃ』そして運命を『Mine』と締めくくった。

 

この運命は『自分のもの』だと。

 

 

  こうなりゃマイケル無双状態・・・。(笑)

 

 

自分の意思は自分の力で、自分の声で伝えてこそ『自分の人生を自分次第で生きる』ってことを強く強く感じた作品やった。

 

 

 

そういやガキのころ、阪急西宮スタジアムでMJのライブがあって、

たけふく』って店の角に立ってたらLive後のMJが車から手を振ってくれたな・・・。(なんで、たけふくにリンクすんねん俺、笑)

トマト

 

先日、志塾同期生の加藤公理のクラウドファンディングがあって、トマト農家のスポンサーになりました!

サプライズと言うか・・・アイツが友情の証に、とトマトの木のオーナーにまでしてくれちゃいました。(笑)

 

 

その動画がこちら。(0:48あたり、笑)

せっかくなんで『株式会社グローバルウォーク』でお願いしました。

 

 

 

長野県にある平谷村ってとこの高原トマトで、去年も食べたけど恐ろしく旨い!

今はまだ一般販売してないけど、再来月くらいが食べごろかと。

 

よかったら皆さんもどうぞ!

太宰治②

 

下品

 

「ただ、ひとの物腰だけで、人を判断しようとする。下品とはそのことである。」

 

 

「如是我聞」では礼儀、身振り、物腰という表層から人間を判断する態度そのものを「下品」と呼んでいる。

ということは、下品な人がいる。

のではなく「人を表面情報で分類する眼差しが下品」と言っているのだ。

 

 

何年か前にそうやな・・・。と思たことが、古く文学の中にはこういった教育がつぶさにあるものだ。

 

 

以前落語家の桂春蝶さんの『人間失格』を聞きに行ったことがある。

春蝶さんも凄かったが、モトネタが素晴らしくないと、こうはならんやろな・・・。と思た。

笑えるのは安住さんの「走るなメロス」やけど。(笑)

 

太宰治っちゃ~凄い人や・・・。

38歳で亡くなったんやが、この若さで凄い作品を何作も書き、もうすぐ亡くなって80年くらいやけど、素敵に深堀され、アレンジされてる。

 

 

今年はもう少し太宰を研究しよう!

 

 

太宰治

 

正義と微笑 太宰治

 

先日仲間が、太宰治のこんな作品を教えてくれた。

日記形式で書かれた本小説は、悩みが尽きない現代の大人に刺さる作品だ。

 

 

 

もう君たちとは会わないかもしれないけど、お互いにこれから、

うんと勉強しよう。勉強と言うのは、いいものだ。

試験の勉強が、試験を合格してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思ってる人もあるようだが、間違いだ。

植物でも、動物でも、物理でも科学でも、建築でも土木でも、時間の許す限り勉強して置かなければならん。『日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させる』のだ。

 

 

何も自分の知識を誇る必要はない。

勉強して、それからけろりと忘れてもいいんだ。覚えるというのが大事なのではなくて、『大事なのは、“カルチベート“されるということ』なんだ。

 

 

学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなのだ。

けれども、全部忘れてしまっても、その『勉強の訓練の底に一掴みの“砂金“が残っているものだ。』

 

 

 

これだ。『これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。

ゆったりと、真に“カルチベート“された人間になれ!』

これだけだ、俺の言いたいことは。

 

 

 

君たちとは、もうこの教室で一緒に勉強は出来ないね。けれども、君たちの名前は一生忘れないで覚えてるぞ。君たちもたまには俺の事を思い出してくれよ。

あっけないお別れだけど、あっさり行こう。

 

最後に、君たちの御健康を祈ります。

 

 

 

素晴らしい文章や!

 

人はなぜ浅いのか?

軽いのか?

ヌルいのか?

の答えがまさにここに詰まっていると言える。

 

 

人生に役立ちそうにない事に興味関心を傾け、『探究』する。

そうしていくうちに感覚から手に入れた、今までの知識や情報をもとに判断された思考力、行動力で、未知の壁を打ち破っていく。

その一つひとつの考えや考え方が太宰の言う『砂金』だろう。

この連続性によってカルチベート『される』のだ。

 

カルチベートとは磨くという意味である。

そのほかにも耕す。洗練される。がある。

カルチベートされた人間になれ。とは『人格を耕し人格を磨き、洗練された人になれ。』と俺は理解した。

 

三國清三さんが、かつて師匠アランシャペルに言われた言葉も『セパラフィネ』(洗練されていない)だった。

こう考えると一流とは、洗練されていることなのかもしれない。