正義と微笑 太宰治
先日仲間が、太宰治のこんな作品を教えてくれた。
日記形式で書かれた本小説は、悩みが尽きない現代の大人に刺さる作品だ。
もう君たちとは会わないかもしれないけど、お互いにこれから、
うんと勉強しよう。勉強と言うのは、いいものだ。
試験の勉強が、試験を合格してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思ってる人もあるようだが、間違いだ。
植物でも、動物でも、物理でも科学でも、建築でも土木でも、時間の許す限り勉強して置かなければならん。『日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させる』のだ。
何も自分の知識を誇る必要はない。
勉強して、それからけろりと忘れてもいいんだ。覚えるというのが大事なのではなくて、『大事なのは、“カルチベート“されるということ』なんだ。
学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなのだ。
けれども、全部忘れてしまっても、その『勉強の訓練の底に一掴みの“砂金“が残っているものだ。』
これだ。『これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。
ゆったりと、真に“カルチベート“された人間になれ!』
これだけだ、俺の言いたいことは。
君たちとは、もうこの教室で一緒に勉強は出来ないね。けれども、君たちの名前は一生忘れないで覚えてるぞ。君たちもたまには俺の事を思い出してくれよ。
あっけないお別れだけど、あっさり行こう。
最後に、君たちの御健康を祈ります。
素晴らしい文章や!
人はなぜ浅いのか?
軽いのか?
ヌルいのか?
の答えがまさにここに詰まっていると言える。
人生に役立ちそうにない事に興味関心を傾け、『探究』する。
そうしていくうちに感覚から手に入れた、今までの知識や情報をもとに判断された思考力、行動力で、未知の壁を打ち破っていく。
その一つひとつの考えや考え方が太宰の言う『砂金』だろう。
この連続性によってカルチベート『される』のだ。
カルチベートとは磨くという意味である。
そのほかにも耕す。洗練される。がある。
カルチベートされた人間になれ。とは『人格を耕し人格を磨き、洗練された人になれ。』と俺は理解した。
三國清三さんが、かつて師匠アランシャペルに言われた言葉も『セパラフィネ』(洗練されていない)だった。
こう考えると一流とは、洗練されていることなのかもしれない。
